仮説の次に来るものは

少女たちのポストモダン - ケータイ小説に見る彼女たちの記号的消費

上記エントリに何らかのかたちでリアクションをくださった方、加えて読んで頂いた方、どうもありがとうございます。今回はあのエントリについて思っていることをいくつか書いてみようと思います。

まず、『少女たちのポストモダン』が実体験を伴わないエントリであることは本文で示していましたが、ではその意味するところが何なのかと言うと”仮説”ということになります。そして、あのエントリの在り方は「現時点で考えていることをとりあえずネットに投げてみよう」というところにあります。

以前、「おもしろいtwitter使いは、twitterでひとりブレインストーミングみたいなことをやっているように思う」というエントリを書きましたが*1、出発点はこれと同じです。簡単に言ってしまえば「そんなの(ひとりブレインストーミング)、twitterじゃなくてブログでやったっていいじゃないか」ということです。twitterに流すにしては分量がまとまったからブログにしましたというか、ね。

そしてあのエントリが”仮説”であり、これがひとりブレインストーミングであるなら、それはまだまだ続くということに他ならないのです。次に何をするのか?もちろん検証です。つまり、ケータイ小説を読む。仮説は検証してこそ活きるもの。そして検証で得たフィードバックを元にさらなる検討をする。そういうのを、そのときどきでブログに投げていけたらいいなと思っています。ひとりブレインストーミングです。”仮説”に書いたことをあっさり捨てるくらいの、何物にも縛られない自由な発想を。

で、ひとりブレインストーミングと言いつつもこれはブレインストーミングであってもいいと思っています。先ほど「現時点で考えていることをとりあえずネットに投げてみよう」と書きましたが、これは周囲の波紋を期待しているという側面もあります。ひとりで考えると見落とすものも多いだろうし。

あのエントリに来ているリファはまだ全然チェックできていないのですが、もしかしたらあのエントリが誰かをインスパイアしていたりするのかもしれません。だとしたら書いてよかったなぁと思わざるを得ません。

ひとまず今思っていることは、ケータイ小説は携帯電話で読んだほうがいいのかなということです。インターフェイスが影響する部分もあるだろうし。あとケータイ小説の現在を追うならやっぱり携帯電話で、とも思ったり。でもたぶん、読むのは書籍化されているものになるのかなと思います。話題の中心はそっちのような気もするし。そして、ケータイ小説から”仮説”をぶっ壊すくらいの何かが見つかったらいいな。そんなふうに思っています。