初音ミクとついったん、「生みだす力」を持つキャラクター

1.はじめに
以下は、夏コミに続いて12/5の文学フリマで頒布される『アイドル領域vol.2』に掲載されているぼくの初音ミク論『複製技術時代のアイドル消費』とも関連する考察だ。来春、『アイドル領域vol.3』に寄稿する予定の「初音ミクの自己言及性」に関する考察との間を埋めるものと位置付けている。言葉を変えれば、ぼくの個人的な『アイドル領域vol.2.5』みたいな感じだといえるかもしれない。もちろん、単独でも読むことができる。ここでは初音ミクと「ついったん」という2つのキャラクターについて、ジョナサン・ジットレインを引用しつつ考察を進めている。それでは本題に移ろう。

2.「ついったん」について
以前から「ついったん」を見ていて、彼女からは初音ミクのような「自己言及性」と「生みだす力」を感じていたので、まずはそれについて検討してみたい。その前に「ついったん」についての説明が必要と思われるので、まずはそこから始めよう。

ついったんとは、Twitterのアカウントのひとつだ。その成り立ちは、旧来のTwitterのメンテナンス画面やエラー画面で表示された猫にある。詳細は以下のURLを参照して欲しい。

Twitter猫が激しくかわいい件について | No Cat, No Life

一部のユーザの手によってこの猫が萌え擬人化され、ついったんは誕生した。Twitter上のついったんアカウントbotとは異なり、Twitterユーザが自らの手で発言させる仕組みとなっている(ついったん自身は勝手に発言しない)。ついったんに発言させる方法は二種類あり、ついったん宛てにダイレクトメッセージを送信するか、IRCチャンネル #twittan で「@twittan [メッセージ]」と発言することによって、その内容がついったんの発言としてTwitter上に反映される。メッセージを送るためには、Twitterの仕様上、ついったんと相互フォロー状態になっている必要がある。

以上がついったんの概要だが、ついったんのキャラクターとしての興味深い特性は、この「ついったん自身が発言するためには、他者のメッセージを受け付ける必要がある」という仕様の部分にある。具体例を見てみよう。

上記のツイートは、Twitterアカウントとしてのついったんがユーザから下品なメッセージを受け付けるケースがあり、しかし仕様上はそれを拒むことができないというついったんの特徴を、ついったんというキャラクター自身が自覚している(ように他のユーザが発言させている)ものだ。

このツイートも同種だ。Twitterアカウントとしてのついったんは自分自身ではしゃべることができない。しゃべるためには誰かにメッセージを送信してもらう必要がある。ここでは、ついったん宛てのメッセージの送信がしばらくの間なかったこと、つまり、しばらくの間ついったんが発言できなかったことを受けて、「私の存在忘れるなんてひどい!」とついったん自身が自分のフォロワーに向かって発言をうながしている(ように他のユーザが発言させている)ことがわかる。

もちろん、ついったんの発言はこのタイプのものに限られるわけではない。むしろ他愛のない発言のほうが多く見られる。それでも、この特徴は興味深い。ここでのついったんは、自分自身が他者のメッセージを受け付けるだけのTwitterアカウントであることを自覚した上で、それでもひとりの女の子のキャラクターとして発言している(ように他のユーザが発言させている)。ついったんのこのキャラクター性は、ぼくに初音ミクを思い起こさせる。詳細はぼくが以前書いた以下のエントリを参照していただくのがいいと思うので、ここでは割愛する。

初音ミクという固有名と二次元美少女の図像がもたらすもの - hybrid issue(s)

一方で、ついったんのこの特徴--「ついったん自身が発言するためには他者のメッセージを受け付ける必要がある」--は、問題を孕むこともある。一部のユーザが行き過ぎたメッセージ送信をし続けた結果、ついったんからフォローを解除されたこともある(相互フォローが解除されるので、このユーザはついったんに発言させることができなくなる)。あるいは、ついったんの発言に2chのコピペネタが含まれ、それに反対するユーザが発言をするといったケースも見られる。具体的には以下のようなものだ。

コピペの一例としては上記のようなものが挙げられる。一方で、コピペに対する反論としては以下のようなものが見受けられる(必ずしも上記に対応するわけではない)。

ついったんの発言がコピペで埋まるような状態をあまり好んでいないひともいれば、別に気にならないというひとも少なくないだろう。好ましく思わない理由としては、コピペがスパムのように見えるからでもあるだろうし、ついったんが持つキャラクター性を損なうものだからというものもあるだろう。だいたい、ついったんをフォローしているのは現時点で8,500アカウントくらいだし、その観測範囲での出来事を問題と呼ぶほどでもないと思うひともいるだろうし、そんなに嫌ならついったんのフォローを解除して自分のタイムラインを整理すればいいと考えるひともいるだろう。ぼく自身もついったんと相互フォロー状態になっており、ついったんの発言を楽しむユーザのひとりだ。ぼく個人の感覚でいえば、コピペ「だけ」で埋まるのはあまり好ましく思っていないが、現状ではそれほど気にならないツイートの量だし、だから今後もついったんをフォローし続けるだろう。そんなこんなを踏まえた上で、ついったんのコピペ発言について少し考えてみると、思うにこれは、ついったんが「生みだす力」を持つがゆえに起こる状況なのだろうと感じている。

3.「生みだす力」を持ったキャラクター
ハーバード・ロースクール教授ジョナサン・ジットレインは、その著書『インターネットが死ぬ日 そして、それを避けるには*1』において、マルウェアに関して以下のように指摘している。

技術がわかる人の中には、悪性コードというのはMicrosoft Windowsの問題だと考える人が多い。WindowsIEの設計が甘いことが元凶であり、設計が「優れた」LinuxMacといったOS、あるいはFirefoxOperaなどのブラウザを使えばユーザは保護されるというのだ。そんなことをしても安全性はほとんど改善されない。どのOS、どのブラウザにも脆弱性が存在するし、そもそも根本的な問題は、パソコンというものが(どのようなOSを使うにせよ)その構成をユーザが自由に変更可能でどこから手に入れたソフトウェアでも走らせられるという点にあるからだ。
ユーザがおかしなソフトウェアを実行してしまえばマシンがめちゃくちゃになるおそれがあるし、そのマシンがインターネットとつながっていれば他人のマシンも巻きこむおそれがある。たしかにマルウェアWindowsを標的にすることが多いが、それは基本的にMicrosoftの市場シェアが圧倒的だからだ。(中略)
パソコンは設計意図どおりの動作をするもので、弱点になるのはユーザというわけだ。

  • 『インターネットが死ぬ日』P.102より

WindowsLinuxMacといったOSを搭載したコンピュータの特徴は、誰でも自由にコードを書いて、どこから手に入れたソフトウェアでも走らせることができる点にある。だからこそコンピュータは「生みだす力」を持っており、創造的に利用されてイノベーションを生む可能性がある。そして同時に、マルウェアのような問題を孕むことにもなる。ここでのジットレインの指摘はそのようにまとめることができる。

ついったんもこれと同じことがいえるのではないだろうか。ついったんは相互フォロー状態になっているユーザが自由に発言させることができる。だからこそ、先述したようなキャラクター性--自分自身が他者のメッセージを受け付けるだけのTwitterアカウントであることを自覚した上で、それでもひとりの女の子のキャラクターとして発言する--が、ユーザの自発的なついったん利用の中から自然に発生した。そして同時に、コピペ発言という問題を孕む。

さて、ジットレインによると、「あるもの」に「生みだす力」を与える要因は基本的に以下の五つが考えられるという。

  1. テコの作用により、どこまで作業を簡単にしてくれるか(テコの作用)。
  2. 幅広い作業にどこまで対応できるか(順応性)。
  3. どのくらい簡単に使い方を学べるか(習熟性)。
  4. 新しい活用方法を作り出す意欲と能力を持つ人がどのくらい簡単にアクセスできるか(アクセシビリティ)。
  5. 専門家以外の人にも(おそらく、特に専門家以外の人へ)どのくらい簡単に改変を伝承できるか(伝承性)。
  • 『インターネットが死ぬ日』P.128

これをコンピュータで見てみると、次のようにいえる。「テコの作用」については、OSやミドルウェアや各種のアプリケーションはさまざまな処理を肩代わりしてくれるといえる。「順応性」については、ブラウジングをしたり、音楽を聴いたり、映像や画像を見たりできるだけではなく、プログラミングもできるし、ドキュメントの作成、音楽制作、映像編集など幅広い用途がある。また「順応性」では、それが作られた時点では想定されていなかった用途にも使えるということも重要になってくる。あとから生まれてくる利用方法に対して開かれているかどうか。この点、コンピュータは「順応性」が非常に高いといえるだろう。「習熟性」については、完全な習熟は難しいだろうけれど、自発的な学習である程度のことはできるようになる。「アクセシビリティ」については、コンピュータはひろく家庭や学校に行き渡っている状況であることから、高いといえる。「伝承性」はインターネットとの組み合わせによって非常に高いといえるだろう。

なお、「生みだす力」を持ったものであっても、これらすべての項目を必ずしも満たすわけではない。たとえば航空機は物体を長距離移動させるという点では「テコの作用」が高いが、幅広い用途があるかというと必ずしもそういうわけではないし、「アクセシビリティ」だってかなり低い。ジットレインによれば、「テコの作用」、「順応性」、「習熟性」、「アクセシビリティ」、「伝承性」は相互に補完しあう関係にあることが多いという。また、「生みだす力」を持ったものが「生みだす力」を持たないものより必ずしも優れているというわけではない。設計段階で用途を限定することで、より使いやすくなるケースもあるからだ。それに、「生みだす力」を持ったコンピュータが、同時にマルウェアの問題を孕むことは既に見たとおりだ。

これをついったんに当てはめると、次のようにいえるだろう。

「テコの作用」について。ついったんは基本的に何かの作業を簡単にするものではないので、その意味では効果はないといえる。一応、ついったんは現時点で約8,500アカウントからフォローされているため、ネタをウェブ上に広げることを簡単にしている、ということはできるかもしれない。しかし、ついったん以上のフォロワーがいるアカウントも珍しくはないので、やはりこの点はそれほど効果がないといえるだろう。

「順応性」について。基本的にはTwitterで出来ることがついったんでもできる。従ってTwitterというサービスの中では充分な「順応性」があるといえるかもしれないが、それ以外の部分ではあまり期待できない。別のサービス、たとえばPixivなどをのぞいてみると、ついったんタグの付いたイラストも描かれているのを見つけられる。さらに、ユーザの自発的な利用の中から、ついったんが「他者のメッセージを受け付けるだけのTwitterアカウントであることを自覚した上で、それでもひとりの女の子のキャラクターとして発言する」というキャラクター性を獲得したことは、ついったんが誕生した当初から想定されていたことではないだろう。つまり、ついったんはキャラクターとして消費されることには「順応性」が高いといえる。しかし、それ以上についったんがひろく一般に活用されているなどというケースはあまりないといっていいだろう。言い換えれば、ついったんはそのコミュニティの中でだけ「順応性」が高い。ぼくはこの点が重要だと感じている。ついったんのキャラクターとしての「順応性」の高さは、初音ミクと共通する。詳細は後述しよう。

「習熟性」は高いといえるだろう。Twitterが使えるなら誰でもついったんを利用できるレベルである。「アクセシビリティ」も同じ理由から高いといえる。Twitterのアカウントを作成するのにそれほどの困難はないし、ついったんをフォローするのも難しいことではない。

「伝承性」について。「伝承性」では「専門家」から他のひとへどのくらい簡単に改変を伝えられるかが重要になってくる。ここでいう「専門家」とは、Twitterユーザの中でもさらについったんに深く関与しているひとたち、少なくともついったんをフォローしているか、ついったんのイラストを描いているひとたちだといっていいだろう。その範囲内では、「伝承性」が高いと考えられる。ぼくはついったんをフォローしているだけで彼女に発言をさせたことはないが、それだけでついったんがどういうキャラクター性を持っているのか知ることができている。しかし、これは「専門家」以外には伝わりにくいし、場合によってはどうでもいいことのはずだ。ついったんの発言はついったんをフォローしている範囲以上には広がりにくい。もちろんFavやリツイートによって拡散させることもできるが、それはついったんの仕様の範囲を超えた外部環境に大きく依存する。基本的についったんを気にするのはTwitterユーザの中のさらについったんをフォローしているひとであり、その点では「伝承性」があまり高くない。逆にいえば、ついったんはそのコミュニティの中でだけ「伝承性」が高いといえる。

ついったんは「習熟性」と「アクセシビリティ」が高い。そして「順応性」と「伝承性」はついったんコミュニティの中で高く、「テコの作用」に至ってはほとんどない。言い方を変えれば、「順応性」と「伝承性」は主についったんコミュニティの中で醸成されるため外部には広がりにくく、そして「習熟性」と「アクセシビリティ」が高いがゆえに、比較的容易に新たなユーザがついったん流入しやすい。さらに、ついったんに発言をさせるには、いままでの経緯やついったんのキャラクター性を知っている必要はなく、行き過ぎていないかぎり自由な発言をさせることができる。こういった事情から、ついったんにコピペをしゃべらせる新規ユーザが流れ込みやすく、それに反対する従来からのユーザが対立するという構図が生まれ得るのではないだろうか。

一方で初音ミクについてだけれど、彼女はついったんよりも「生みだす力」が強いとぼくは考えている。それによって初音ミクに関するコンテンツが数多く生み出され、共有され、改変され、消費されていく。『アイドル領域vol.2』において、ぼくはローレンス・レッシグが指摘した「コモンズ(共有地)」とイノベーションの関係を援用し、初音ミク文化のひろがりを論じた。来春発行予定の『アイドル領域vol.3』ではこれを受けて、さらなる初音ミク論を展開するつもりだ。そこでは序章的な位置付けでジットレインの「生みだす力」を引用しようと考えている。以下の文章は、そのプロトタイプとなるだろう。
4.初音ミクの持つ「生みだす力」
ここからは、ジットレインによる「生みだす力」の要因を、初音ミクに適用して検討を進めたい。

まず「テコの作用」だが、これは充分に備わっているといえるだろう。確かに、VOC@LOIDを習熟するよりも自分で歌ったほうが手っ取り早いとはいえるかもしれない。しかし、ソフトウェアによって女声を手軽に利用できるということは女性ヴォーカリストをいちから探すよりは手軽だろう。加えて、なによりも重要なのは、『アイドル領域vol.2』で詳しく論じたように、初音ミクに主体的な意思がないことによって得られるメリットだろう。初音ミクは合成音声を発するだけで、そこに人格があるわけではない。だから彼女は「あなたの曲、なんだか素人っぽいわね」とか「このメロティじゃあ、わたし息継ぎができないです...」とか「もうっ!こんな恥ずかしい歌詞、わたしが歌えるわけないじゃないっ///」、あるいは「明日から本気出す」、「風邪ひいちゃったから歌えないの」などといった言葉を自分からはいわない(いって欲しいひともいるかもしれないが)。たとえ楽曲を作ることに慣れていない制作者の楽曲でも、息継ぎする余裕のない楽曲でも、歌うのがすこし躊躇われるような歌詞でも、それをどんな時間に、休みなく歌わされても、初音ミクは文句を言わない。この結果、たとえDTMの初心者であっても初音ミクを自由に使って習熟できるし、どんなタイプの楽曲でも制作して初音ミクに歌わせることができるといえる。初音ミクをプロデュースするという行為は、この点においてぼくたちにとってオープンでフリー(自由)だ。これは「テコの作用」における手軽さの恩恵だろう。

次に「順応性」について見ていこう。初音ミクが適用される領域は幅広い。これは初音ミクの「順応性」の高さをあらわしている。具体的には次のとおりだ。

音楽に関しては、「テコの作用」の項で述べたとおり、さまざまなジャンルに自由に適用することが可能となっている。さらに、初音ミクを非商用利用する場合、ライセンスによって禁止されている使用方法は「公序良俗に反する歌詞を含む合成音声を公開・配布すること」、「第三者の人格権を侵害する合成音声を公開・配布すること」の二点であることも、初音ミクの利用をオープンにしている。もちろん、商用利用に関しても、利用が制限されているわけではなく、別のライセンスのもとでの利用が許可されている。

加えて、初音ミクはイラストも多く描かれている。それはピアプロ・キャラクター・ライセンスによって、二次創作に関する一定の自由がぼくたちに与えられていることも影響している。

上記のライセンスからも明らかなとおり、初音ミクは自由に使われることが想定されおり、用途は制限されていなかった。だからこそ当初は想定されていなかっただろう使われ方--MikuMikuDanceリズムゲームへの展開や自己言及的なキャラクター性の獲得、ネギなどの設定の付与--が生まれる余地があった。この当初想定されていない使われ方を獲得するという点が、初音ミクの「生みだす力」の特に重要な部分ではないかと思う。

「習熟性」についても、音を出すだけなら初音ミクはごくシンプルだ。初音ミクをはじめとしたVOC@LOIDはインターフェイスがピアノロール方式になっているため、はじめて使うひとでもだいたいの操作は直感的に理解できる。一方、それ以上の習熟にはそれなりに学習が必要になるといえる。同様に、初音ミクのイラストを描くことも、MikuMikudanceで彼女を踊らせることも、ひろく開かれてはいるものの、習熟にはそれなりに学習が必要だといえるはずだ。つまり誰でも簡単に、とはいかないかもしれないが、決して一部のひとのための秘儀というわけではない。

アクセシビリティ」だが、初音ミクはソフトウェアとして提供されており、コストを支払えば必ず手に入れることができる。もちろん動作させるためにはコンピュータが必須だけれど、コンピュータ自体も既にひろく行き渡っている以上、「アクセシビリティ」には大きく影響を与えないだろう。さらに、楽曲は制作できなかったとしてもMikuMikuDanceによって彼女を踊らせたいと考えるひとにとっても、MikuMikuDanceは無償で利用が可能であるため、「アクセシビリティ」が高いといえるだろう。

「伝承性」は、ネギを思い浮かべればいいかもしれない。初音ミクに付随するこういった「設定」はユーザの手で自然的に発生し、伝承されていく。また、『恋スルVOC@LOID』の歌詞に見られた初音ミクの自己言及的なキャラクター性が他の楽曲に伝承されていったことも「伝承性」の事例として挙げられる。そしてこれは、初音ミクの「専門家」、つまり、初音ミクを利用して楽曲を制作するひとやイラストを描いているひとやMikuMikuDanceを利用して初音ミクを踊らせているひとにしか理解できない話ではない。単に楽曲を聴いたり、イラストやダンスを眺めているだけのユーザでも理解できるものだからこそ、彼らにも伝承されていく。また、制作者たちは伝承された要素を必ずしも受け継ぐ必要はない。ときに受け継いで、ときに受け継がないという選択肢を採用できる。これはソフトウェア開発における「フォーク」をより柔軟にしたようなものだといえるかもしれない。

このように見ていくと、初音ミクは「テコの作用」、「順応性」、「アクセシビリティ」、「伝承性」が高いということができる。「順応性」が高いがゆえに初音ミクはさまざまな用途に後天的に利用されはじめ、その適用範囲は、楽曲制作だけでなくゲームや動画などにまでひろがっていく。そして「伝承性」が高いがゆえに、専門家以外であっても初音ミクのキャラクター性や設定を理解できる。そこで影響を受けたユーザが「自分も初音ミクを利用したい」と思ったとき、「アクセシビリティ」が高いために初音ミクの利用を阻害する要因はほとんどない。そして初音ミクを手に入れれば、「テコの作用」が高いために自由に楽曲制作することができる。初音ミクの「生みだす力」はこのように捉えることができるだろう。

ぼくが考えるところ、特に重要な点は彼女の「順応性」だ。当初想定されていなかっただろう使われ方--MikuMikuDanceリズムゲームへの展開や自己言及的なキャラクター性の獲得、ネギなどの設定の付与--を可能としたのは、紛れもなく初音ミクの「生みだす力」が関係している。『アイドル領域vol.3』では、この中から「自己言及的なキャラクター性の獲得」に焦点を絞って、考察を展開するつもりだ。

そのまえに、12/5は『アイドル領域vol.2』をどうぞよろしくお願いします。

アイドル領域vol.2頒布 - ムスメラウンジ

*1:原題は『The Future Of The Internet: And How To Stop It』。原著はクリエイティブ・コモンズでライセンスされ、配布されている。詳しくはhttp://futureoftheinternet.org/を参照のこと